泰淳の『もの喰う女』について調べていた際に、気になる広告を見つけました。
というのも、そこには見たことのない『花束を持ちて』という作品のタイトルが載っていたからです。
1948年4月に出版された目黒書店の『人間』という雑誌に、『人間美学』という雑誌の第一号(創刊号)の広告が載っています。
以下、該当の広告のリンクです。
国会図書館のアカウントが無い方のために文字起こしもしてみました。
新総合文化雑誌
人間美学
新しきヒューマニズム高揚のため良識人の机辺に送る
第一号 四月刊
半年一五〇円・一年三百円・五月迄に半年以上前金申込者に奨学資金一万円抽選にて贈呈
人間美学(井島勉)頽廃について(高坂正顕)ゲーテに於ける自然(土井虎賀寿)自然美と人間美(湯川秀樹)特集・生命について(服部英次郎・亀井勝一郎・長尾雅人・川上泉・朝山新一・天野重安)小説・花束を持ちて(武田泰淳)絵・須田国太郎
臼井書房
京都市京都大学北門前
半年分以上の料金を前払いすると抽選で一万円贈呈、という文言もなかなか興味をそそられますが、それ以上に「小説・花束を持ちて(武田泰淳)」というのが気になります。
少なくとも自分はこのようなタイトルの小説を見たことがないですし、ざっと全集の目次を眺めてみてもやはりそのようなタイトルの小説は見当たりません。
もしや全集から漏れた幻の作品か?と淡い期待も抱きましたが、少し調べてみたところ残念ながらそういった類のものではなさそうでした。
この人間美学という雑誌の創刊号は広告の通り1948年の4月に刊行となっています。
この時期に発表された小説は基本的に『武田泰淳全集』の第二巻に収録されているので、書誌情報からまずはこの『人間美学』創刊号を探してみたところ、それらしきものを発見しました。
サイロのほとりにて
昭和二十三年四月発行の雑誌「人間美学」(創刊号)に発表され、昭和二十四年一月、臼井書房発行の創作集『月光都市』に収録された。以後の再録はない。なお雑誌掲載の折には、末尾に、(その一 おわり)と注記されており、当初は作者に長編執筆の構想のあったらしいことがうかがえるが、『月光都市』に収録の時点で、すでにこれは独立した短編としての資格を作者から与えられた。
『武田泰淳全集 第二巻』p.504
というわけで、『人間美学』創刊号に掲載された小説は、実際には現在『サイロのほとりにて』として知られる小説だったようです。
それでは、広告に記載されている『花束を持ちて』という小説はいったいどこへいってしまったのでしょうか。
とりいそぎ、『人間美学』に掲載された時点でタイトルがすでに『サイロのほとりにて』だったのか、それとも雑誌掲載時は『花束を持ちて』だったのかが気になります。
さすがにタイトルが変わっていれば書誌にも記載はあると思いますが、万が一漏れている可能性も否めません。
国会図書館のデジタルコレクションでは『人間美学』創刊号は確認できませんでしたが、幸い「日本の古本屋」で安く出品されていたので取り寄せてみました。
『人間美学』に掲載の時点ですでに『サイロのほとりにて』という題になっていたようです。特に面白みもないですね。
改めてサイロを読み直してみたものの内容的に『花束を持ちて』という題がついていたようには思えませんので、雑誌掲載時に題名だけが変わったという可能性は低いと思います。
当初は『花束を持ちて』という小説が載る予定だったのが、何かしらの事情で作品自体がサイロに差し替えられたというのが実際のところだったのではないでしょうか。
それでは、『花束を持ちて』という小説は一体どうなってしまったのでしょうか。
全集の目次を見渡してもそのようなタイトルは見当たりませんが、掲載されないままお蔵入りになってしまったのでしょうか?
花束っぽい要素が出てくる作品がないか見てみたところ、全集ではサイロの次に掲載されている『非革命者』という小説で作中に「花束」という単語が頻出していました。
花屋の店さきへ来た。明るい、花やかな空気、少し湿気をおびた、なまあたたかい空気が私の顔にふれる。緑色の葉と、白や赤の花々からは、甘い、なやましい匂いが流れ出している。外国の婦人が、金髪の子供に、パラフィン紙で包んだ花束を持たせて店を出て行く。
「俺も花を買ったらどうだろうか」と私は考える。その考えは、破天荒な光輝を放ちながら、私の全身をつきぬけて行く。「俺だって、花束を買ってもいいではないか。今日だけはいいではないか」『武田泰淳全集 第二巻』p.139
内容としても、『花束を持ちて』というタイトルでも全然違和感はなかったので、おそらくこの『非革命者』こそが広告にも載っていた『花束を持ちて』の正体なのではないでしょうか。
この『非革命者』という小説は、『文芸』の1948年5月号に掲載されたのが初出とのことです。広告に記載の『人間美学』とも一ヵ月しか変わらないので、可能性は高いのではないかと思います。
広告に掲載されていた『花束を持ちて』という小説については、『非革命者』の可能性が高いことが分かりました。
何故タイトルが変更となったのか、なぜ『人間美学』には広告とは違い『サイロのほとりにて』が掲載されたのか、等々まだまだ謎は残りますが、とりあえずはスッキリしてよかったです。
ちなみに、『サイロのほとりにて』の書誌で「なお雑誌掲載の折には、末尾に、(その一 おわり)と注記されており、当初は作者に長編執筆の構想のあったらしいことがうかがえるが、」と記載があります。
これは初期の泰淳にありがちなことで、連作短篇や長篇の構想があったものの挫折した作品というのがそれなりに存在します。
なお、『サイロのほとりにて』と『非革命者』では舞台も違ければ、内容で被るところもほとんどないため、サイロの続篇として非革命者が構想されていた、というようなことはないかと思われます。
よって、サイロと非革命者を含めた連作短篇の総タイトルとして『花束を持ちて』が構想されていた、というような可能性は低いと思います。